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インドネシア伝統武術 プンチャック・シラット

ムルパティプティ派 日本支部(MPジャパン)

ムルパティプティジャパンの活動
(略称 MPジャパン)

1961年 ユリ プルワント、インドネシア ジョグジャカルタに生まれる。
     幼少よりインドネシア伝統武術「プンチャック・シラット」ムルパティプティ派を学ぶ。
1982年 ジョグジャカルタの芸術大学在学中、インドネシア芸術研究所に入学、
     有名画家でありモダンダンスのマーサ・グラハム氏の薫陶を受けた
     振付家バゴン・クスディハルジョ氏に絵画と舞踊を師事。
     バリ、アチェ等インドネシア各地でMPインストラクターとして指導を行う。
     創設者マスポン師とジャカルタ滞在中は常に寝食を共にする。
     MP大会においてファイテング部門「タンディング(当時はプロテクター無しの時代でフルコンタクト)」で 
     3年連続ファイナリストとなり流派内にて大きく存在を示した。
1995年 指導範囲を海外へ拡大、ニューカレドニアにてシラット指導、同時に絵画展開催。
1996年 在日インドネシア共和国大使館の外交官プロジェクト(日本にシラットを紹介する)で招待来日。
     企画の2週間が終了、日本人へシラットを指導する企画に発展、シラット指導で日本在住生活となる。
     日本でのスポーツシラット指導を正式に開始。
2006年 銀座アセアンセンターにて絵画展開催。
     同年、スマトラ島沖地震義援金活動の為、群馬サファリパークにてシラットステージと絵画展を開催。
2007年 在日インドネシア共和国大使館にて在日インドネシア大使アブドゥル・イルサン氏と二人絵画展開催。
2009年 ムルパティプティ派最高段位へ昇段。
2013年 インドネシアのムルパティプティ派世界大会(バンドン)へ日本チームを引率、初参加。
     生徒の選手は競技別で金、銀、銅を各1メダル取得。
2014年 3月 国際機構アセアンセンターにてインドネシアと日本の友好を願いマルヨノ参事官との二人絵画展開催。  
     10月 国際機構アセアンセンターにて「SSIA美術展」へ招待参加。
     11月 二子玉川のカフェギャラリーLasahにてインドネシア大使館後援イベント
     ユリ プルワント作品展「JIWA」を開催。
2015年 3月国際機構アセアンセンターにてインドネシア大使館後援絵画展「INDONESIA GALORE」参加。
     絵画展示参加と共にオープニングセレモニーでシラットと絵画のライブパフォーマンスを披露。
     アーティストトーク講演を行う。
     4月 シラットが歴史上はじめてオリンピック委員会主催のアジア大会(アジア地区のオリンピック)に
    採用される見通しと情報を得る。日本からのシラット選手派遣に向け準備を始める。

2017年 2月 23年前から協力する日本プンチャックシラット協会の活発な活動を内外に知らせる為
    「エディナラプラヤジュニア世界大会(ジャカルタ)」へ日本から初のジュニア選手派遣を行う。
     ムルパティプティジャパン所属 KAPI選手(13歳)
     演武 女子シングル 金メダル(400点以上取得者)取得、戦績全体4位。
     5月 本格的にアジア大会を想定した選手候補を選定、訓練を行う。

2018年 2月 アジア大会テスト大会(ジャカルタ)へ
     日本代表候補 ムルパティプティジャパン所属 麻生選手を監督として引率。
     演武 男子シングル6位。帰国後さらなる強化訓練を開始。
     7月 アジア大会 日本代表団シラット日本代表に麻生選手、ユリ氏が正式に選手・監督に認定される。
     協会を通じて一ヶ月のジャカルタ強化訓練へ麻生選手を送る。
     8月 第18回アジア競技大会へムルパティプティ派からシラット日本代表選手を輩出、
     日本プンチャックシラット協会を通じ派遣、監督として引率。
     演武 男子シングル 予選B組5位
    
    同8月、パクブミ ジュニア世界大会(ボゴール)へ日本代表ジュニアとしてKAPI選手(15歳)を派遣。
    演武 女子シングル金メダル取得。
 
    12月 シラット世界大会(シンガポール)へ麻生選手を派遣。男子シングル 総合8位。

  • YULI PURWANTO(ユリ プルワント)
    愛称 Mas ipungt(マスイプン)


    インドネシア ジョグジャカルタ出身(1961年7月17日生まれ)
    ムルパティプティジャパン(MP日本支部)主宰者
    ムルパティプティ派 最高段位保持者

     在日インドネシア大使館 外交官プロジェクトによりインドネシアシラット協会を通じ、インドネシアムルパティプティ派から派遣。1996年、剣豪 宮本武蔵に憧れてアメリカ派遣をことわり来日。日本で指導を行いながら武家の子孫である日本女性と結婚、1児の父。武術と共に絵画など自然と芸術を愛する親日家。好きな食べ物はヤキトリとアボカド。

         
         
  • Mas Poeng (マスポン)
    本名プルウォルト・ハディ・プルノモ


    インドネシア ジョグジャカルタ出身(1944年12月1日生まれ)
    インドネシア ムルパティプティ派 創設者
    GRAT 第11代目

    古代ジャワ ディポネゴロ王家警護の一族にのみ継承を許された護衛術であったムルパティプティの技を先祖から受け継ぐ。時代を鑑みインドネシア国家繁栄の為、第10代目GRAT尊父サングル氏からGRAT外の一般人へ伝承する許可を受け、シラットの流派として1963年4月2日ジョグジャカルタにて弟のマスブディ氏と共に創設。
     非凡な武術の才能を有していた事から指導者として尊敬を受け、MPはインドネシア軍高官に支持をされインドネシア軍体術訓練に採用された。熟達者は歴代のインドネシア大統領SPに配属されています。2014年に他界。葬儀はインドネシア軍が墓地まで空軍機で搬送、国葬に準じました。
     弟子であるユリ氏は、創設者マスポン師とそのご家族と共に若き修行時代は寝食を共にし「技の息子」として愛されました。

    *GRAT=王族の血縁者への尊称

     
     
  • MPの哲学


    Merpati Putih(ムルパティ プティ)はジャワ語で「Mersudi Patitising Tindak Pusakane」の略です。意味は「平穏で真実を求めよ」となります。
    MP門下生はすべての行動に心と思考を適応させることが良しとされます。

    「我が貢献に価値はない、しかしこの誠実は真実である」

    ・誠実かつ慈悲深くあれ

    ・自尊心を失うなかれ

    ・調和を重んじよ

    心からこれらを実践することで、武術と心が一致した円満な良き人間を作ると考えています。
     
     
  • GRATの系譜


    ディポネゴロ王族 カルトスロより伝承される。
    初 代 アディウィジョヨ
    第2代 シンゴサリ
    第3代 ジョヨルジョソ
    第4代 ガガ・ハンドコ
    第5代 レッソ・ウィジョヨ
    第6代 ボンソ・ジョヨ
    第7代 ジョ・プルモノ
    第8代 ウォンソ・ジョヨ
    第9代 クロモ・ムンゴロ 
    第10代 サリン・ハディ・プルモノ
    第11代 プルウォルト・ハディ・プルノモ(創設者マスポン)
         ブディ・サントソ・ハディ・プルノモ
    第12代 アモス・プリオノ・トリィ・ヌグロホ
         ネヘミア・ブディ・スティアワン

    *元は武術、医療、言葉の技術であった技は第4代目GRATの兄弟に分けて伝えられた後、医療と言葉の知識は公にされておらず、引き継がれた先は不明となり現在も探求の途上にある。
         
         
  • 創設者マスポン師と流派誕生の物語

     
     マスポン師(プルウォルト ハディ プルノモ師)は、MP創始者2名のうちの一人であり、ユリ プルワントはその直弟子にあたる。

     マスポン師はGRAT10代目サリン ハディ プルノモの子、13人兄弟の長子としてジョグジャカルタのプンゴに誕生(1944年12月1日生まれ)師は8ヶ月という早産にも関わらず健康に育った。

     シティ ハルヤンティ(通称 ンバ ヤンティ1947年4月7日生まれ)と結婚。3人の息子に恵まれた。

     ダニエル エコワント(1968年2月3日生)
     ミカリ デウィ(1969年7月12日生)
     アモス プリヨノ トリ ヌグロホ(1970年1月25日生)
     2度目の結婚相手であるラハユとの間に子供はなく、もう一人の創設者であった弟マス ブディの息子リズキ ダルマワンを養子として迎えた。

     ジョグジャカルタで他の子供たちと変わらない幼少期を過ごしたが、いくつかの点で異なっていた。師はたいへんな喧嘩好きだった。
     マスポン少年は日常的に誰とでも、何人とでも、何処ででも、たとえ学校ででもすぐに喧嘩をした。この喧嘩好きな性格から彼の名前は周囲でしだいに有名になっていった。喧嘩ではいろいろな武器を使いながらも、心は決して相手に怪我を負わせたいという気持ではなく「強さ」を求めていた。
     父のサリン尊師は、息子の喧嘩好きな性格を憂い、ある日、武器を持った相手を素手で制圧するいくつかの型を示し、少年をわざと刺激し、武器を持って自分を攻撃するように仕向けた。
     挑発された少年はとうとう父に挑みかかったが、彼の攻撃は何一つ父には届かなかった。尊師のほんの少しの動きが、少年の攻撃を全く封じてしまったのである。彼は終いには壁に頭を打ち怪我をしてしまった。尊師がその怪我にいくつかの薬草を当てるとすぐに治癒した。
     尊師の身につけていた型は先祖から受け継ぐ武術であり、普段は教師としておだやかな尊師の隠された一面であった。喧嘩に慣れていたマスポン少年には知らされていない父の一面であった。
     「強さ」と出会った少年は、この日から武器を持つことをやめ、14歳になったばかりの年(1958年頃)に自宅の庭、あるいはパラングスモウ海岸で、父と毎日の練習に励むようになった。練習の日々が1ヶ月ほど続いた後、尊師は第3子のマスブディも練習に参加させるようになった。

     父との修行だけではなく、マスポン師は当時のジョグジャカルタで有名だった宗教指導者ブホリ氏、ジョヨ氏、シュハダ氏に師事した。マスポン師は彼らの愛弟子としてシュハダ氏からブヌッという名前をもらうまでになった。この名は「穏やかな水」「全てを飲み込む水」という意味である。

     数年間の修行後、マスポン師と弟のマスブディ師は父を通して熟達し、1961年から周囲の友人たちに稽古をつけるようになった。
     1962年、尊師は2人の息子に対し彼らが継承した知識の発展を託した。
    マスポン師は武術の能力を見込まれてBayuManunggal派を率いるンバ ジョヨ氏から(彼女の流派を引き継ぐべき血縁や後継者が居なかった為)彼女の流派を引き継ぐように頼まれたが、先祖から受け継ぐ父の教えを発展・拡大させるという大きな責任を負っているため、この依頼を断り、自身で弟と共に1963年4月2日一つの流派をジョグジャカルタで創設。
    流派名を「ムルパティプティ」と名づけた。
     
  • 伝統合宿と昇段試験

         
         
    <伝統合宿>
     インドネシア ジョグジャカルタ パラングスモウ海岸は創設者親子の訓練場所であった海岸です。
     年に一回、世界中のMPメンバーがこの海辺に集まり、この伝統合宿で強化稽古と昇段試験を行います。いままで日本からも希望生徒が数名が参加しています。
     パラングスモウ海岸は遊泳禁止のインド洋に面した黒砂海岸です。(雰囲気は少し由比ガ浜に似ています)
     ジョグジャカルタの伝承では、パラングスモウには海の女神ロロキドゥルが住み、古の時代、この女神はジョグジャカルタ王を愛し婚姻して国を守ったと言われています。
     現在でも年一回、ジョグジャカルタ王家の王は第一王妃である女神を忘れていないという意味で国の守護を祈り、自身の衣を海に流して瞑想を行います。
     伝統合宿では国も言葉も違う仲間が同じムルパティプティの技を共通言語として裸足で山や川、熱い砂浜や海岸で尊師サリン師がマスポン師兄弟に授けた稽古を体験します。偉大な自然を相手に、力弱き人間である自身が訓練を通じ、すべての人間の中に眠る大きな力を見出す旅とも言えます。
     海に向かって行う瞑想では、目を閉じている生徒を何かが力強く押すものが‥瞑想を破るのは何だろう?と目を開いてみたら大きな大きな海亀がお腹を押していた‥仲間数人で大亀を海に返したり‥そんなエピソードも多々生まれる厳しいだけの合宿ではなく、国境を越えて技の仲間が寝食を共に、おおらかなインドネシアで一つの大きな「家族」となってゆける合宿です。

    <昇段試験について>
     段位は昇段試験に参加、試験管に認められると段位取得・授与が行われます。段位は帯に七色のリボンを縫い付け、その色で各段位があらわされています。試験は通常インドネシア、各国支部で行われます。
     日本支部の場合、主宰のユリ氏は流派の最高段位保持者の為、中級までの昇段試験開催資格を所持しているため、生徒への試験・昇段授与を日本国内で入門~中級まで行うことができます。
     流派の段位は品質管理上、支部の主宰者の段位で開催授与レベルが変わります。流派的にはインドネシアでの試験参加が基本となっている中、日本支部は最高段位者の主宰という団体であり、現地への渡航をせず、中級までの昇段に挑戦できる恵まれた環境と言えます。
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